この世の凡庸なる者

「買っていながらまだ見ていなかったDVD」を今夜は1枚。
3時間の長丁場、一度も席を立ちませんでしたが、字幕読み返しのために巻き戻し(苦)を数度…。

アマデウス ― ディレクターズカット スペシャル・エディション [DVD]アマデウス― ディレクターズカット スペシャル・エディション』 

まぁなにを言っても凡庸な感想にしかなりそうにないので一言…

コンスタンツェ可愛いです。

……………………蛇足ですが、
言わずとしれた名作ですが、実は初見。
某大阪G大で音楽を勉強していた(研究していた!?)はずなのにクラシックが苦手なwacにも十分に楽しめる作品でした。
「才能」についてのお話。
サリエリは自分を凡庸の代表のように述懐するけれど、その彼だって「選ばれし人」なのだなぁと思いました。ただそんな彼でも憧れざるを得なかった才能の持ち主が身近に来てしまったのが彼の不幸(幸福?)だったのかな。自分を律して神の声を聞こうとしたサリエリにとって、奔放で下品で当たり前に神の声を聞いているかのようなヴォルフィーが実はとっても魅力的に映ったんだろうなぁ。
「好きなこと言いたい」「もてたい」「下品な冗談で大笑いしたい」とか。
そんな彼とヴォルフィーの最後の共同作業シーンがすばらしいです。頭の中でできあがっている音楽を本来は思考の速度で記述できるヴォルフィーのもどかしさと、混乱しつつも魅せられ引き込まれていくサリエリ、そして協調…たぶんそれは永遠とも思えるような至福の時間だったのかもしれない。でもそんな時間にもやがて終わりはやってくるわけで…。

実は芸術的天才とは社会的に「役立たず」と同義である。
天才を許容できる社会というのは豊かな社会であるか、高度に呪術的な社会である。

そんな意味でこの作品を見て感じたことは中島敦狐憑山月記*1の読後感ととてもにている。
シャクは才能が餓(かつ)えた後煮られ、ヴォルフィーは死に追いやられ共同墓地の墓穴に埋葬(というにはあまりにも…)される。それだけの才能を渇望したサリエリは狂気(醒めているようにも思えるんすけどね)に奔り、李徴は狂疾を発し虎に成る。どちらの生き様が幸せかとか考えてもきりはない。
サリエリは皇帝に生涯侍り、李徴は友人を喰い殺すことなく妻子に言葉を遺すことが出来たということがそれぞれの救いになっただろうか…。