バンド知りそめし頃(その1)

今日の通勤ミュージックは高橋幸宏『colors ― the best of yt cover tracks vol.1』*1。時代を超えたいろんなカヴァー曲が全然違和感なく並ぶ。母音を区切って歌う独特のヴォーカル・スタイル、偶数小節の最終拍裏で唐突に終わって奇数小節にサブドミナントなんかのmaj7や6の余韻を残す独特のエンディング、それをまねするだけで、わかる人には笑えてしまうわけだ。
お風呂ミュージックは同じく高橋幸宏『MR.YT』*2『EGO』*3とそれに続く「痛み三部作」で毒吐きと癒しを完了し、肩の力を抜いて取り組んだふつーのアルバム。前作で全面的にフューチャーされた徳武弘文氏のギターがここでも、大きく取り上げられています。ただ、徳武氏ならではのカントリー風味は少々後退していますが…。このアルバムを聴きたくなるのはやっぱり秋なんすよね、もっと似合うのは晩秋なんですが。

-閑話休題-

ボクが初めてバンドを組んだのは中3の初夏、その年クラスが一緒になって初めて知り合った友人と、隣のクラスのヤツが前の年に立ち上げたばかりの「ギター部フォーク班」に出入りするようになり、正月に1万円で買ったばかりのAriaのフォークギターをぶら下げて参加するようになった。
初めて演った曲はチューリップの「心の旅」、ボクはなぜか財津パートを歌うことになった。このクラブは「フォーク」と言うことで学校に承認されていたので、学校が「ロックだ」と判断すれば練習も、文化祭でのステージも即刻中止されるというようなクラブだった。なんせ練習時ドラムの打面には常に段ボール紙が貼ってあった。
そんなクラブでステージに向けて練習した曲は、チューリップでは他に「Shooting Star」、アリスの「チャンピオン」、なぜかアルフィーの「Starship」…結局「心の旅」と「チャンピオン」以外は「フォーク」として認めてもらえなかった。
そんな中で一曲だけ毛色の違う曲がまじっていた。それが高橋幸宏の「6月の天使」*4だった。それは当時のとても狭いボクの音楽的知識で判断しても、とうていフォークともニューミュージックとも、そしてロックとも思えない不思議な曲だった。今にして思えば、ボクが初めて「ポップ」という価値観と出会った瞬間だったと思う。ボクと高橋幸宏の出会いは「YMO」ではなくこの一曲だったのだ。そしてこの曲もなぜだか発表のメニューとして生き残ることができた。
発表当日、エレキベースはとうとう認められなかったものの(「エレキ」は「ロック」だという理由で)、フォークギターにピックアップを取り付けて、ろくに音響設備もない体育館を理由に10Wのアンプを持ち込み、ベースは直前にDX7を持っている友人を引き込んでシンセベースで代用し、何とかステージに持ち込むことができた。ガチガチに緊張していたボクの目にもDrsのNが満を持して段ボールを外して叩いたドラムの音に、顧問が大あわてで「×」サインを送るのが見えた。
演奏がどうだったかはあまり覚えていないけれど、多分ボロボロだったろう。だけどボクはこのバンドで、ギターを弾くこと、歌うこと、ハモること、そして多くの声援を受けることの楽しさを知った。
でもまだ足りなかった。それは「誰も知らない曲を自分たちで生み出す」楽しみだった。この後も数年ニューミュージック者を続けるボクに、またも高橋幸宏の一曲が絡んでくる。
(つづく)

*1:colors ― the best of yt cover tracks vol.1 『colors ― the best of yt cover tracks vol.1』 高橋幸宏 1999年

*2:『MR.YT』 高橋幸宏 ASIN:B00005GLK2 1994年

*3:『EGO』 高橋幸宏 ASIN:B0000566WL 1988年

*4:『薔薇色の明日』 高橋幸宏 ASIN:B00005GI3S 1983年 M4に収録