『パイナップル』さ○ら組

社会人になれなかった1992年、留年が決まった翌日のライヴ*1では抜け殻のような状態で、車の中で押尾師と遅くまで語り合い、その後一年友人や先輩、後輩達のライヴに入り浸った。要はそれまでとそれほど変わらない大学生活を送っていた。ボク自身は日本橋にあったGENEや江坂のBoominHallで細々とライヴをしながら、留年生をやっていた。
そんな中で目に耳に入れる機会が多かった「さく○組」。押尾師の「Objet」と共にボクの心の支えになったユニットだった。
藤山岳夫氏と宮本和幸氏によるピアノ/アコとアコギのデュオ、その後メジャー/マイナーを問わず、雨後の竹の子のように浮上してくることになった凡百のアコースティックユニットとは一線を画する、ポップ心とロック魂溢れる、時に静謐な、時に妖しい魅力を放つユニットでした。彼等が作った唯一のアルバム『パイナップル』(1992年)。デザインワークはヒオキケンゴ。
代表曲のうち数曲が入っていないのが惜しまれますが、それでも良い曲が7曲入っています(当時のデモテ持ってる方いませんか!?)
のほほんと人を食ったようなピアノロックなM1「かけおちソング」、詩情溢れるM2「ジャムの唄」、M3「ドボチョン一家の逆襲」は当時聴いても身につまされた歌詞が、今では妙にタイムリーな時事風刺ソングに聞こえてなりません、アコーディオンのリフがこれまた人を食っています。M4「レクイエム」はたまらんです、悲しいけれどむっちゃ好きです。静謐さ溢れる隙間が美しいM5「月がとっても青いから」は彼等の真骨頂。M6「代入」は言葉遊びと切ないポップなメロディが絶妙な名曲、真似できません。M7「12月」は当時よくわからなかったけれど、少しずつわかるようになってきましたよ。
藤山(とうやま)さんとは「○くら組」が大阪G大の学祭で、サークルのライヴハウスのゲストとして出演した時の迎えで一度、解散後に日本橋のGENEで一度お会いして話したことがある。解散後は「ロックバンドでもやろうかな」とか話してたな…アレは94〜95年頃だったっけか!?
とにかく今ではもうほとんど入手する手段もないであろうこのアルバム(大阪ローカルのインディ盤)。もし死蔵している方がいたなら一度聴き直してみません!? 最近お風呂プレーヤーに常駐しているのですが、風呂にも良いっすよ。

*1:卒業ライヴになる予定でした…